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モロッコ情報

モロッコの歴史

★モロッコ歴史概要

マグレブ(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)の地には太古よりベルベル人が住んでいました。古くは沿岸部や都市部を中心にカルタゴ、ローマ、バンダル、ビザンチンの支配を受けましたが、全国的にはさほど影響はなかったようです。ところが7世紀以降、イスラム教布教のためにやってきたアラブ人によって、言葉、町の造り、宗教などすべてがアラブ化へと大きく変化していくことになります。
その後、ベルベル人、アラブ人による各イスラム王朝が興亡を繰り返し、それと同時に大西洋や地中海沿岸の港町はスペイン、ポルトガルの支配を受けることもありました。1912年よりフランスの保護国を経て、第2次世界大戦後の1956年に現在のモロッコ王国が誕生し現在に至ります。

★モロッコ歴史年表

紀元前4世紀 マウレタニアの誕生

ローマ皇帝アウグストゥスによってユバ2世がマウレタニア(現在のアルジェリア西部とモロッコをあわせた地域)の王に任命され、ヴォルビリスに都を構えた。

紀元後42年

ローマ軍がマウレタニアを征服。533年ごろからビザンティン人や西ゴート族が次々とこの地を襲う。

681年

アラブ人によるモロッコの侵略が始まる。イスラム化の始まり。

788~1055年 イドリス朝

786年、予言者ムハンマドの娘婿アリーの子孫であるイドリス1世が一族の虐殺から逃れるためバクダッドからモロッコに避難。788年、モロッコ中央部のベルベル人により「イマーム」として認められ、789年に最初の都フェズを建設し国の北部を統一するが、792年に暗殺された。イドリス一世没後も王国は発展し、フェズは繁栄した。11世紀はじめ、イドリス朝はスペインのコルドバまで支配するようになったが、スペインの内紛のため王国は退廃していき、1055年にムラビト朝によって滅ぼされた。

1055~1144年 ムラビト朝

脱イスラムを目指した遊牧民のベルベル人集団によるムラビト朝は、1069年にフェズを征服、1070年にマラケシュに王都を建設した。その後、スペインまでその勢力を拡大したが、1144年バルセロナへの遠征に失敗した。

1130~1269年 ムワッヒド朝

マラケシュの南のティンマルでイブン・トゥマルトがイスラムの正当性を主張し、1121年ムラビト朝に対し反乱を起す。マラケシュ陥落後、スペインのアンダルシアまで勢力を広げるが、スペインで軍事的失敗が重なり、王国は分裂、弱体化する。

1269~1465年 マリーン

ズナート系ベルベル人のマリーン家が、ムワッヒド朝の弱体化を好機にフェズ、ラバト、サレなどを征服。その後マラケシュで蜂起し、ムワヒッド朝の王位を剥奪した。マリーン朝はスペインにも進出したが、1348年にはペストの大流行に加えトレムセンとチュニスで反乱が起り、弱体化する。

1525~1659年 サアード朝

大西洋沿岸の港に定住していたポルトガル人はサハラ縦断交易でベルベル人らと戦争状態にあった。ムハンマドの子孫であるサアード家の王エル・カイムは、1509年からポルトガルに対抗し、1525年にはマラケシュを攻め落として新しい王朝を確立した。その後もサアード朝はポルトガル人を追い出し、領土を奪回していった。1578年「三王の戦い」に勝利した「黄金王」アフメド・エルマンスールは安全な黄金のルートを確立したが、1602年死去、王朝の分裂につながる。

1666年~ アラウィー朝

予言者ムハンマドの娘婿アリーの子孫であるアラウィー家のムーレイ・シェルフは、1666年に正式にアラウィー朝を確立。その後の後継者もモロッコの再統一に努め、経済の発展と強力な軍隊を養成した。このアラウィー朝が現在に続くモロッコ王家である。ムーレイ・イスマイル(在位1672~1727)は地方の宗教的・政治的権力を解体し、モロッコ王国の基礎を築いたほか、外交関係の強化に努め、フランスのルイ14世やイギリスのジェームズ2世との外交を行った。彼の死後、国内は内戦状態に陥ったが、シディ・ムハンマドが小康状態を回復。エッサウィラを建設し、海外貿易のための開国を宣言した。しかし、旱魃やペストの流行、ムーレイ・スリマーンによる海路のジハード(聖戦)の停止、海上貿易の破綻などが国益に重大な打撃を与え、モロッコは再び鎖国政策へと転換。アルジェリアのアミール・アブド・エルカデールを支持したモロッコは、フランス軍およびスペイン軍による介入を受け、その後イギリス、スペイン、フランスから条約の締結を迫られることになった。

1912~1956年 保護国時代

1906年のアルヘシラス会議で、フランスとスペインがモロッコ国立銀行の代理人に指名された。在モロッコ外国人の暗殺を理由に1907年フランスはカサブランカを占領、同年、ムーレイ・ハフィードが国王となる。1911年、ムーレイ・ハフィードは反乱部族によって包囲されたフェズ解放のためフランス軍に出兵を要請。モロッコはフランスの保護領条約を受け入れざるを得なくなり、同時に領土の一部はスペインの委任統治下に置かれた。その後、ムーレイ・ユースフが王位を継承。同年、フランスのリヨテ将軍がモロッコ総督に着任し、ラバトを首都とした。1942年のアメリカ軍のモロッコ上陸により、モロッコ国内のナショナリズムは高揚し、1944年独立を宣言。1947年、タンジェで国王ムハンマド5世は独立の有効性とモロッコのアラブ諸国連盟への加盟許可を求める声明を発表。フランス政府との度重なる会議にもかかわらず、流血の事態を招き、1953年8月20日にはムハンマド5世は強制退位・追放となった。

1956年 モロッコ王国の独立

モロッコのレジスタンス政府は反仏抗争を展開、スペインがそれを妨害したが、1955年11月16日、ムハンマド5世は追放から帰還。フランスは1956年4月7日、スペインは同年10月29日に独立を承認した。

1961年

ムハンマド5世急逝。ハッサン皇太子国王(ハッサン2世)即位。

1999年

ハッサン2世逝去。シディ・ムハンマド皇太子(ムハンマド6世)即位。

2003年
ムーレイ・アル・ハッサン皇太子誕生